人生がつまらない40代へ、そんなの当たり前【贅沢な悩み】
他所で書かれている記事の共通点を見ると、たいていが「目標を持とう、生活習慣見直そう、外で活動して趣味や出会いを見つけよう」みたいなのが、ほぼですね。
それが簡単に出来ないから、困ってるんじゃボケ~!って話ですよね。
私もそう思います。同じ40代として、歳を重ねてくるごとに、昔のような感性や素直さ?みたいなものを失っていってる気がします。積み重なるなにかが、マドハンドのように足に絡みついて、動きを封じてくるんですよね。
ここでは、冒頭にあげたような、読んで満足して寝て起きたら忘れてる・・・系の内容ではなくて、別の切り口から考えていきたいと思います。
<注意事項>
・他所様をディスってるわけじゃありません。正しいことを書いてます。
・不快な気持ちで終わる可能性もあるので、それがイヤな人は続きを見ないでもらって大丈夫です。
・私個人の見解のため、苦情等は一切受け付けておりません。
人生がつまらない、そんなの当たり前で贅沢な悩みです
順番に説明していきます。
そんなことを考えてる時点で暇なんです
人生がつまらないなぁとか、あるふとした瞬間に「毎日つまんねーなー」「つまんねー人生だな」って思う時があることでしょう。
しかしそれって、日々の生活は問題なく送れていて、お金は困らない程度にあるけど、充実感がない、心の満足がないってことですよね?
まずここです。前提としてすでに、ある程度の生活が送れているということ。普通に生活が送れているからこそ、そんな余計なこと考えちゃうんですね。
また、それを考えるだけの頭の良さがあるともいえます。
ここで例をあげます
例1:既婚女性子供3人。旦那が家計費まともに入れないことしばしば、あげく薬やって逮捕。自分はバイト3つ掛け持ちして、寝る時間も削って仕事の毎日。
例2:独身男性。ある事情から借金数百万。仕事はしているが、給料の多くが返済に消え、生活は一向に良くならない。
いずれも知り合いの話です。両方の共通点、頭脳的にどちらもバカです。教養がないだけで人間としてはいい人達ですが。でも不思議なことに、この人達からは後向きなことは聞こえてきません。
目の前の現実にいっぱいいっぱい過ぎて考える暇なんかないからです。また考える能力も乏しいからでしょう(これは言い過ぎかもしれませんが)。
人生の選択は自分でしている
すでに40年以上生きてこられた方ならわかると思いますが、これまでの人生、色々あったと思います。例えば、入試、就職、結婚、出産、転職、離婚、などなど。
それ以外にも個人単位でみれば、数えきれない程なにかあったはず。
ただ、それらに共通して言えることは、基本的にすべてを自分で選択してきたということです。親の意向や家族の意向があったにしろ、最終的に決めたのはあなた自身なんです。
時代が時代なら、身分制度に縛られ選択の余地なし、医療も未熟なためちょっと重い病気にかかったらすぐ死亡、80年前は大きな戦争もありました。場合によっては生まれながらにして、死ぬ時までの選択肢なんてなかった。
現代に置き換えると、
●男性なら仕事漬け、家と会社の往復の毎日。独身なら孤独、既婚子持ちなら人間ATM。
●女性なら非正規多い、家事、育児、子育て、パート。自分の時間なんてあったもんじゃない。
こんな感じかと思いますが、これらは誰かに強制されたわけではないですよね?
下を見て、今を満足しろってことではないです。ただ、今の時代、選択できる余地があるだけマシじゃないでしょうか。
【提案】つまらない人生を受け入れてみては?
つまらないと思っている人はきっと救いを求めています。行き詰った現状から抜け出したい、誰か助けてくれ、と。しかし他人に期待しすぎてはいないでしょうか?
他人は、所詮他人です。大多数の人は、人の人生なんて興味ありません。
そこでいくつか提案です。
提案1.諦めの境地を目指す
なにもかも諦めましょう。孤独、人間ATM、家事子育てマシン、もうそれでいいじゃないですか。これまで通り同じ日々を繰り返して、老後を心配しながら、年老いて死んでいきましょう。
もうなにも考えないで、思考停止しましょう。心に抱く理想と現実のGAPが埋まらないから、満足できないんです。理想なんてすべて捨て去りなにもかも諦める。それで心はずっと楽になるはずです。
提案2.思考の方向性を変える
これはちょっと難しいです。そもそもネガティブ思考な人は、ネガティブなんです。心で真っ先に抱いた思考や感情を変えることは簡単じゃありません。だって直感でそう思うわけですから。
よくポジティブ思考になろう「物事を前向きに捉えよう」「もっと感謝を持とう」とありますが、そう思えない人には簡単にそう思えないんです。これが簡単に出来るようなら人生に迷う人なんていませんよ。
ただこれを転換できる人がいるとすれば、それは素晴らしいことですね。少なくとも私には真似できませんが。
提案3.新たな選択肢をもって猛進する
40年が生んだ代償?能力?
人間40年も生きてくると、さすがに知恵と経験がつきます。おかげでリスクを回避する能力が高まります。しかし返ってそれが、行動にブレーキをかけます。
これまでの経験を基に、瞬時にちょっと先の未来を予測するからです。でも例えば10代はそんな難しいこと考えません。経験が乏しいため、未来予測もできません。だから行動が早いです。
逆に年齢が上がってくると保身とまではいかなくとも、無意識にリスクを回避し安全策をとる。
結果、それが変化のないつまらない生活を生んでいます。知らず知らずのうちに自分でそういう道を選択してるということなんですけどね。
新たな選択肢とは
行き詰った現状を打開する「なにか」です。その「なにか」はその人にしかわかりません。ここを人任せにしてはいけません。しっかりと自分で考えて答えを出すことが重要です。
「なにか」とは行き詰ってる原因の改善策ですね。
他人に期待するのはやめましょう。聖人君主でもない限り、基本人間はみんな自分のことしか考えていません。
また「なにか」が見つかったとしても、その先の猛進がなければ、提案1に逆戻りです。
しかし行動には痛みが伴います。40年が生んだリスク回避能力と行動、どちらを取るかは、また選択なのです。
すべては「脳が見せている”世界”」
ここまで書いて思いましたが、見事に救いがない話になりました。
一言で結論言うなら、思考の問題なので結局のところ本人がどう思うのか(捉えるのか)ということだけ。そしてどう行動するのかということ。
脳がスゴすぎる件
人を人たらしめているのは、脳です。誰しも知っている話ですが、思考の働きもすべて脳が作り出しています。感情や感性も全てそう。なにごとも脳が勝手にそうみせているとも言えます。
まだ来てもいない未来への不安もそう。生物である以上、生存こそが第一にくるため、できるだけ長く生存させるために、脳が体に生き続けられるよう飯を普通に食えている今を続けさせようとしてるんです。
「現状を変えちゃっていいの?飯食えなくなったらどうするの?今飯食えてんだからそれでいいじゃん?」と脳の生存に関わる部分が不安を煽るというわけですね。
逆に満足を司る方の脳は、それじゃ納得しません。「いや、そうじゃない。俺は私はこう在りたいんじゃ~!」と。なんという矛盾でしょうね。
脳が見せる世界に負けないように
仮に数万年生きられる寿命がそもそもあったとしたら、実質無限みたいなものなので、人生つまらないとも思わないでしょう。無限なら、なににどれだけ時間を使おうが意味をもたないので。
基本成人後は80年以下(体が充分に動く期間はもっと短い)という限られた時間だからこそ、有意義なものにしたいと思い、そこに対し理想が生まれ、現実とのGAPに苦しむのだと思います。
人はいつか必ず死にます。そのいつかは誰にもわかりませんが、最期の時に「あーつまんねー人生だったな」と思いながら死にたくはないですよね。
脳が勝手に見せる未来への不安に振り回されることなく、自分が満足できるかもしれない未来に向けて歩んでいきましょう。